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<説教> 救いの言葉、私たちの近くにある!

 

「救いの言葉、私たちの近くにある!」

(ローマの信徒への手紙10:8~9)

和歌山第一教会 朴成均牧師

小学校5年生の時のことです。同じクラスのクリスチャン友達と喧嘩したことがありました。その理由は、イエスさまを信じれば天国へ行く、信じなければ地獄に落ちるとの話があったからです。私は、当時、教会のこともよく分からなかったし、イエスさまについてはなおさら無知でした。むしろ、お寺に行けば、落ち着く者でした。天国、地獄を信じなかった私が、どうして、友たちの言葉に敏感であったのか。喧嘩までしたのか。メッセージを準備しながら、その理由を考えてみました。もし、友達の話が本当なら、私は地獄に行くのではないか。それが嫌で、喧嘩までしたのではないかと思います。しかし、イエス様を信じるようになったのは、それから14年後でした。今、振りかえってみれば、イエスさまの救い手は、いつも身近にあったが、それに気づかない愚かな自分の姿を見るようです。神様はなんと辛かったでしょう。

ローマ10:8では、「御言葉は、あなた方の近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」と言います。信仰をもたらす言葉です。それは、私たちから遠くにあるものではありません。海外まで行って、得るものでもありません。牧師、博士にならなければ得るものでもありません。それは、口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じればいいのです(9節)。すなわち、イエスさまの十字架と復活を信じることです。イエスさまは、私たちの罪のために、十字架の死に渡され、私たちが、神さまの前で正しくなるために、復活させられたことを信じることです。カルバリーの十字架を通して、神さまとの間にあった大きな壁が崩れ、和解されたのです。これが、「信仰の言葉」であり、私たちの近くにあり、私たちの口、私たちの心にあるのです。

教会の近くに一人のおじいさんが住んでいました。普段は挨拶をしながら仲良く過ごしました。しかし、「教会に来て下さい。イエスさまを信じて見ませんか」と言いますと、顔色が変わり、「天国を見た人がいるか? 地獄を見た人がいるか? もし本当にいれば、教会に行くし、イエスさまを信じてみる」と口癖のように言いました。結局、その方は、最後までイエスさまを信じなかったのです。皆さん、この世を去って行く時、後悔しても手遅れです。あの時、イエス様を信じておけばよかったのにと後悔しても無駄です。これは、買い物一つ間違ったこととは違います。例えば、テレビや洗濯機を購入して、もし自分の好みではなくても、10年程度過ぎれば、新しいものに買い換えられます。再度買いなおすチャンスがあります。しかし、救いは、違います。救いの言葉が近くにある時、受け入れるべきです。拒み続けてはなりません。

人は目に見えるものだけ信じようとします。目に見えなければ、信じようとしない傾向があります。しかし、空気が見えないから空気がないという人は一人もいません。呼吸を通して空気が存在するのが分かります。心は誰にも見えません。しかし、心遣いは誰にも分かります。神様も目には見えないお方です。しかし、キリストの言葉が私たちの心にある時、誰でも分かります。有名な神学者カールバルトは、「神の言葉が、聖書の中で私たちを待っている。」と言います。意味深い言葉です。神さまは遠くまで行かなくても、見つけることができるお方です。聖書の中で、私たちを待っておられます。近くにおられる方です。

信仰をもたらす言葉は、いつも私たちの近くにあります。遠くにあるものではありません。今も、救いの手を差し伸べています。カルバリーの十字架を通して、私たちを生きる者にして下さいました。十字架には、神さまの大きな愛があります。独り子であるイエスさまを死にわたすほど、私たちを愛しておられる場所です。同時に、神の子であるイエス様が死ななければ解決されない罪に対する神さまの怒りがある場所です。

愛する皆さん、信仰があっても生きるには、苦しみや試練が多いのが現実です。くじけそうな時もあります。その時、イエスさまの十字架を見上げませんか。今、受けている苦しみに打ち勝つ力が神さまから与えられます。誘惑、欲望、嫉妬、恨みが生じる時、十字架を見つめませんか。神さまが打ち勝つ恵みを下さいます。その救いの言葉は、近くにあります。聖書の中にあります。求め続けましょう。探し続けましょう。叩き続けましょう。救いの言葉は、あなたのすぐ近くにあります!

 

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