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感謝の百年、希望の百年。すべての事について、感謝しなさい。(テサⅠ5:18)


総会のお知らせ

2016年 人権主日説教

掲載日 : [16-08-12]   照会数 : 3017




「道を探し求めて」(哀歌3:40~42)
鄭守煥牧師(社会委員長/豊橋教会)

『わたしたちは自らの道を探し求めて主に立ち帰ろう。
天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう。
わたしたちは、背き逆らいました。
あなたは、お赦しになりませんでした。』
 
私たちにとって人権とは何でしょうか?“人として生まれたときに、持っている権利”などと辞書にはあります。総会では毎年9月の人権主日が設けられ、様々な状況の中で人権を奪われ、無視されている人たちのために各教会において覚え祈ります。ですがその祈りと同時に私たちはどのような思いをもって、この世における人権の問題と向き合ってきたのでしょうか? 恥ずかしながら私は生まれてから今まで“人権”ということについて、じっくりと真剣に考えたことがなかったのではと思うのです。なぜなら大切であることを分かっていても、当たり前のことだからこそ、ごく普通に補償され、守られているものだという思いがそこにはあったのでしょう。また偏見や差別によって私の人権が著しく侵害されていることと同じように、他者の人権を考えることができなかった、想像力に欠けていたのでしょう。

ですがあらゆる人の人権が決して当たり前のように、補償され守られているものではないのです。そのことを考えると私の無知さと想像力の足りなさが、他者の人権を軽視してきたと痛感するのです。

1923年9㏠11時58分に関東大震災が発生しました。その日の夕方以降には“朝鮮人が殺人、放火、暴動を行っている”といったデマが広がりました。3・1運動以降の朝鮮独立運動や在日朝鮮人労働運動の高まりと、朝鮮人を危険視していた日本の官憲は地域において、また政府中央においても朝鮮人暴動のデマを事実と誤認しただけでなく、それを広めることになりました。震災の翌日には戒厳令がしかれ、出動した軍隊は各地で朝鮮人を捕らえ命を奪い、各地でも軍人会、消防団、青年団などで自警団が組織され同じことを行ったのです。判断力を失った国がだした戒厳令は、自警団の危機意識をさらに高め、人の命を奪うことをも正当化させることになったのです。その結果、多くの朝鮮人の命を奪ったのは権力に煽られ、人の命を奪うことに躊躇することのなくなった民間人によるものだったのです。(在日本韓国YMCA「2・8独立宣言記念資料室」資料より)

7月29日神奈川県立 障がい者支援施設「津久井やまゆり園」で、元職員によって、多くの人の尊い命が奪われ傷つけられました。元職員は深夜の施設に侵入し、全く無抵抗で就寝中の利用者たちの命に対して凶行にいたりました。犯行前には衆議院議長宛に凶行を実行することを記し、凶行犯は措置入院されていたにも関わらず犯行に至ったのです。犯人が記していた内容は、他者の命の尊さも人権も顧みない独りよがりの考えでしかありません。その内容を理解することは私には不可能です。この事件は他の国々の報道の関心も高く、取り上げられていると報道は伝えています。さまざまな国の有力者や政治家たちが、この事件に関して哀悼の意と許さてはならないことだと憤りをあらわにしています。ですがこれは単に個人による凶行ですまされるということでもなければ、個人の育った環境や精神状況を探ったことで終わることではないと考えます。私たち人間の中に他者の人権を軽んじる思いがある限り。

本文は哀歌第三の歌である。「主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者」で始まる。新共同訳では「知った」と翻訳されていますが、ヘブル語では「見る・経験する」という意味を含んでいます。この歌をうたう人物はいったい何を見たのでしょうか。それは神がダビデとソロモンによって神の住まう神殿を建てたエルサレムの崩壊でした。神殿の崩壊は単に建物を失っただけでなく、神が民の中に隣在しなくなったことを意味しており哀歌の嘆きがここにあります。でも歌い手は神が再び民に顔を向けて下さることを信じ主を待ち望むのです。そのために歌い手は「わたしたちは自らの道を探し求めて主に立ち帰ろう。天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう。わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした」と自らの足らなさと、愚かさを神の御前に告白するのです。

人間はどれほど他者の命や人権に深い関心をもって生きていると言えるでしょうか。私自身のことで言えば自分や家族、ごく親しい人が傷ついた時に、“人権”の声を挙げているにすぎないのではいか、そんな思いがふとよぎるのです。“ザイニチ”がこれから先も、マイノリティーとして自らの道を探し求めて行く時、神に向かって両手を上げながら、そんな私たちの歩んできた道が独りよがりの道でなく、他者の人権を自らの人権と等しくとらえ、神がこの地に生きる道を示してくださったことの意味を悟り歩み続けるものであってほしいと願います。


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