第14回CCA総会 報告③
サラセハン(対話)と講演
「神の家でともに生きる」とのテーマのもとに開催されたCCA総会は、ジェンダー、教職者と信徒、地域(国)などのバランスを考慮し構成されている。だが、教会会議といえども政治と無関係ではないと感じる場面もあった。どう見てもインドネシア、インド教会の台頭が目覚ましく、韓国はさほど目立たない。また今回、中国教会の代表者がゲストとして参加し、台湾教会は緊張を強いられていた。
総会は代議員による議会のほか、礼拝とバイブルスタディ、講演やディスカッション、インドネシア語で「対話」を意味する「サラセハン」、夕べの祈りには地元の教会員や諸国からのオブザーバーも加わって約500名が参加した。
「サラセハン」は総会テーマをより具体的に討論するため12班で行われ、私は「アジアにおける女性に対する差別と暴力」に参加。各国で女性の自立や暴力廃絶に向けて活動する教会のリーダーたちとの分かち合いはとても有意義だった。女性や子ども、特に女児は持ち物との感覚が根強い地域の中で、教会のリーダーたちが奮闘する様子がよくわかった。インドでは女児の4分の1がDVに遭い、1分に1人の女性がレイプされるとの報告に胸が痛むと同時に、日本でも女性と子どもの貧困が深刻であり、3人に1人がDVを経験していることにも思いを馳せた。
講演の中では、総会テーマへの神学的省察を行ったイザベル・Aフィリ博士(WCC副総幹事、南アフリカ)の話が特に心に残った。
博士は「神の家でともに生きる」ことは、愛のうちに生き、互いの課題に耳を傾け、生活の中で寄り添う必要があることを強調。現在、エキュメニカル運動は人種やカースト制度、エイズや性的少数者などの差別問題によって、分断の危機にさらされ「神の家」における道徳的洞察力が問われている。どうすれば神の子であるすべての人が、疎外感を持たずにともに生きることができるのかが緊急の課題だ、このように博士が問いかけるのを聴きながら、あるエピソードを思った。
事前大会として、女性と青年がそれぞれジャワ島西部でフォーラムを開催した。参加者は数人ずつ民泊するように振り分けられた。ところがある教職者は、これを拒否しホテルを要求したという。高齢だったのか持病があったのか事情はわからないが、経済格差と文化的差異の中、ともに生きることが難しい私たちの現実を垣間見るような逸話である。
弟子の足を洗い寝食をともにしたキリストにならい生きることは、決してたやすくはない。だが私たちは世界、特に貧困と人身売買などの暴力にさらされているアジアの兄弟姉妹とつながり、神の正義と平和を求めて生きなければならない。そのことを深く胸に刻む経験となった。
*CCA:アジアキリスト教協議会。アジア21カ国101教会の教会協議会で、KCCJも正式なメンバー。
*参考:14回CCA総会決議文
http://ncc-j.org/uploads/photos/228.pdf
(報告:朴栄子)