<平和統一主日説教>
「二つが一つになるようにしてください」(ミカ4:3)
鄭然元牧師(宣教委員長、大阪教会)
「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」
26年前の1990年7月、車で成田空港に向かう私は非常に興奮していました。私の人生で初めて北朝鮮から来る人々と出会う日だったからです。北朝鮮から来られる朝鮮基督教徒連盟一同を迎える為に車を走らせ空港に出迎える時間でした。
今は故人の高基俊牧師(朝鮮基督教徒連盟書記長)及び4名の訪問団は「第1回祖国の平和統一と宣教に関する基督者東京会議」に参加される為の代表でした。そして7月8日代表の一人、 趙吉男牧師(朝鮮基督教徒連盟中央委員)が、当時私が奉仕していた東京中央教会にて主日礼拝を共に捧げみ言葉を伝えてくださいました。私は信徒の方々に「北に住んでいる人々は頭に角が生え顔色も赤いと思っていたのに実際に会ってみると赤くも角もなく私たちと同じでした。北朝鮮から来られた牧師先生を歓迎しましょう!」 と紹介しました。
7月10日(火) 南北の指導者と海外教会代表団は、東京YMCA9階の講堂に於いて、アリランの歌が流れる興奮の中、講堂に入場しながら手を洗う礼式を行いました。その間の同胞民族を愛せなかった過ちを悔い改め、イエス様が弟子たちの足を洗われたように私たち自身の罪を告白し、苦い水を飲みました。
創世記33章、兄であるエサウから長子の権利を奪ったヤコブが兄の怒りから逃れ、叔父ラバンの家に避難してから20年ぶりに故郷に帰って来ました。それゆえに心の中はまだ兄のエサウの怒りに怯え、ヤコブは自分の知恵を掻き集め兄エサウを試そうとしました。しかし兄エサウに無条件に受け入れられ、双子の兄弟の出会いは自然に営まれました。許しと和解が成し遂げられた時にヤコブは告白します。「 あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います。」
南北の指導者達と世界から集まった代表達の心には、誰のせいなど言い争う心など、なに一つも見られませんでした。許しと和解が成し遂げられた場所となり、何度も修正した合同祈祷文を捧げました。1行1行読んでいく瞬間、目から涙が止まりませんでした。北の百頭山から持って来た木の枝と南の漢拏山の枝とで十字架を繋ぎました。
預言者エゼキエルは神様から受けた御言葉を伝える時、イスラエルとユダの名前を書いた枝を各自持って来て2つを1つに合わせなさいと言いました。これは分断された北のイスラエルと南のユダが互いに連結し、統一された1つの姿を象徴的に見せてくださったのです。神様は言われました。「あなたの手の中で2つが1つとなる。」まさにこのことを確認する感動溢れる時間となりました。北と南からそれぞれ持ってきたぶどう酒を1つの器に入れ、当時の総会長金滎植牧師、北の金雲鳳牧師(朝鮮基督教徒連盟平壌市副委員長)合同司式で聖餐式をとり行いました。私たちはこのようにイエス様の十字架の血潮ゆえに、1つの兄弟姉妹となったことを再確認する恵みの時間でした。
在日大韓基督教会の主催でこのように始まった「祖国の平和統一と宣教に関する基督者東京会議」は8回実施されました。西暦2000年以降の南北は和解の雰囲気が溢れ、政治・経済・文化・宗教など幅広い交流が始まり、私たちの総会はこのような集まりを持つ必要性がなくなりました。
しかし今日祖国の現実と未来を見ると、再びやってきた緊張状態と反目、不信感 、政治指導者の間違った判断と平和統一に対する国民の熱気が冷めているのが現実です。北はNUの制裁にかかわらず核実験を続け、南は北との対話の窓を開けにくい状態が続いています。祖国が分断され71年を迎えるにあたり、南北の交流は遠くなってしまい、民族の解放の歓喜が長い溜息になってしまった今、私たちは、特に海外で生きている私たち海外同胞にできる事は何でしょうか?
私たちは再び、かの日のように胸打つ鼓動を聞き、その興奮を味わいたいのです。南と北、また世界中から走って来た教会の指導者達と私たち在日同胞が1つとなり「われの願いは統一、夢にも願う統一」と統一を願い祈る心で統一の歌を歌いたいのです。
預言者ミカは私たちに神様の御心を伝えました。「彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。」
私たちは切に、神様、私たち民族の間にある紛争を仲裁してください。 周辺の強い国の間のいざこざを止めてくださいました。膨大な殺人兵器を捨て、平和の為の道具を作り、共に生きる平和な朝鮮半島と世界となるようにしてください。と祈りましょう。平和統一主日を共に過ごす全国教会の信徒の祈りが叶う日が来ることを期待し前進しましょう。