個教会で生じた視覚障がい者に対する
差別的対応事件に対する在日大韓基督教会の態度表明
歴史を導かれ、いと小さき存在を慈しみ、またこの世界において貴く用いてくださる主のみ恵みと祝福が在日大韓基督教会の上に豊かにありますことを祈ります。
去る9月3日(土)、在日大韓基督教会所属のある教会におきまして、視覚障がいの方が盲導犬を伴い、教会堂内で開講されていた韓国語教室で学んでいた息子を迎えに教会の玄関に入られた際に、その教会の牧師が教会への犬の入場を注意し、「盲導犬は法律で保障されているのです」と視覚障がいの方が応答された後でさえ連れ出すよう求めるという行為がなされました。その場では牧師の不注意による言動であったとしても許しがたい差別的対応であったといえます。その視覚障がいの方はどれほど心を傷められたことでしょうか。牧師のその発言にその方は激怒され、牧師はそれに対して自分の発言の過ちに気づき、深く詫びようとしたと伺っています。しかしながら、その時点では、
師の謝罪は、視覚障がいの方に受け入れられませんでした。その後9月5日(月)、その視覚障がいの方から抗議電話を受けた金柄鎬総幹事は、総会行政事務担当責任者として丁寧に謝罪し、このようなことが二度と起こらないように在日大韓基督教会の全国の教会に知らせると約束をいたしました。そして、速やかにそのことは実行に移され、この度の事件について全国の教会にEメールにて知らされ、また各教会においてもそのような差別的対応がなされないように厳重に注意が促されました。
総会はその後、9月7日、緊急に臨時任員会を開催し、この件についての経緯の確認、事態の問題性、そして今後の対応策に関して検討いたしました。その検討の結果、総会任員会は、今回の一牧師の視覚障がい者に対する差別的言動の背景に障がい者に対する配慮
と思いやりの欠如があったこと、そしてこの問題は一牧師だけの問題ではなく私たちがいつでも起こし得る過ちであることを総会全体として深く受け止めて反省しなければならないと考えて次の事を決定しました。すなわち
(1)すでに取り掛かられていた牧師による、視覚障がいの方本人への謝罪文と総会全教会向けの謝罪文に関する、総会任員会内での批判的検討を踏まえ、心からの誠意ある謝罪文に向けてさらなる熟考を促すこと。
(2)牧師が上記謝罪文をもって地方会会長、および総会総幹事とともに、視覚障がいの方に謝罪の訪問を行うこと。
(3)上記の謝罪文とともに、この件に関する在日大韓基督教会としての謝罪と反省を込めた態度表明文を作成し、総会全体で共有して共に悔い改めるために、総会機関紙『福音新聞』10月号に掲載すること。
以上の諸点を、総会任員会において確認いたしました。
今日、キリスト教会を待つまでもなく、一般社会にあっても盲導犬の公共施設への入場は法律によって保障されていることは世の常識であります。私たちの身近なところにこのような障がい者がおられるにもかかわらず、その存在に気付かずに常識さえも失ってしまう障がい者に対す
る人権感覚の貧しさがこの度の事態を引き起こしたと思われます。
マタイ福音書25:40において、王であることも知らず、飢え、渇き、貧しく、宿もなくまた囚われていた人々を見過ごせず寄り添い、助けた「羊の群れ」の人々に向かって、主は、「これらの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と言われました。さらに、王であることがわかっていたら助けたが、それに気づかなかったので、見過ごしにし、おろそかにした「山羊の群れ」の人々に向かって、主は、「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(45節)と言われました。この主のみことばに深く学び、聞き従い、民族差別を受ける者や障がい者差別を受ける人々をはじめとする「最も小さい者」の立場に立ち、その人々に寄り添い助けることを教え、学んできたはずの在日大韓基督教会においてこのような事態を引き起こしてしまったことを、この度、この件の当事者となった牧師のみならず、わたしども在日大韓基督教会全体が猛省しなければなりません。なぜなら、この度のことは、ひとりある単独の牧師の問題にとどまることではなく、ともすれば、在日大韓基督教会に所属する教役者と信徒一人ひとりが自分自身を問い直さなければならないことといえるからです。視覚障がい者に対してのみならず、様々な差別が行なわれながら、その傷と痛みを受けた人以外は誰にも気づかれず、見過ごされてきたことがこれまでにもいくつもあったのではないでしょうか。したがって、この度の事件を契機に、わたしたちはこの問題を自分自身と自分の教会の問題としても、十字架の主の前で深く問い直し、わたしたちの教会の在り様が障がい者の人々にとってどうであったのか、これから忍耐強く検証していく必要があるのです。
その教会の牧師が電話にて総会長と総幹事に行なった説明から考えられることとは、最初、牧師が犬を同伴されて教会堂に入られた人を目撃した瞬間に、盲導犬を伴われた視覚障がいの方かとまず想定してみる感性と、よく確かめて言動をなす慎重さを欠いてしまったようです。
それは、そのような感性と注意力を欠いたまま、「神聖な場に動物を連れ込んではならない」という意識・価値観だけが先行し、露呈してしまった結果であろうと考えられます。わたしたちが本当に大切に守るべき神聖なる場所とは、人が歴史的に作り上げ、伝統的に守ってきた宗教的制度と世界観の中で「俗なるもの・けがれたもの」とみなされたものを排除して作り上げる「聖なるもの」ではなく、主ご自身が福音の中で教えられたみ旨に従うならば、差別や迫害に苦しみ、悲しみの中を生きてきた「最も小さな者」がまず、最も慰められ、いたわられ、その苦しみ
と悲しみが喜びに変えられる場所なのではないでしょうか。(『金持ちとラザロ』のたとえ<ルカ福音書16:19 〜31>)
在日大韓基督教会は、この日本の地において在日コリアンの歴史の只中で、「最も小さい者の一人」としての叫びを挙げ続け、そしてその叫びが日本と韓国、そして世界の教会によって聞き届けられ、これまで共生の平和の天幕が広げられるように主に導かれてきました。そのようにして在日大韓基督教会は神の国の福音を学び、宣べ伝えてきたのです。そのかけがえなく貴い歴史を汚しゆがめてしまうことがないように、過ちを犯しやすいわたしたちは、これからも絶えず十字架の主のみ前にひれ伏し、悔い改めながら、赦され、生まれ変わり、さらに主に導かれ、
「最も小さい者」に寄り添い、共に生きる道を歩んでいくことを、心より祈り、願う次第です。
2016年9月8日
在日大韓基督教会 総会長 金 性 済
◆9月3日、私たち在日大韓基督教会に所属するある教会において、視覚障がいの方が同伴した盲導犬の教会への入場を、担任牧師が拒否するということが生じました。私たちは、総会任員会の総意として視覚障がいの方に9月10日、その教会の担任牧師と総会代表(総幹事)が真実な謝罪をし、視覚障がいの方は私たちの謝罪を受け入れてくださいました。
◆私たちはその後、担任牧師とその教会および所属地方会と話し合いを続けました。そして10月23日、視覚障がいの方を訪ね、担任牧師・総会長・総幹事が改めて謝罪して話し合い、上記の「在日大韓基督教会の態度表明」を掲載することになりました。
◆私たち在日大韓基督教会は今後とも、この問題を自分自身と自分の教会の問題として、十字架の主の前で深く問い直していきます。