在日大韓基督教会(KCCJ)は、2008年に宣教100周年を迎えた。植民地宗主国における留学生たちの小さな群れとして始まった在日大韓基督教会の宣教の100年の歩みは、平坦なものだけでは決してなかった。教会として、そして個人として民族的なマイノリティであるがためにさまざまな苦難を経験し、それらを乗り越えてきた。その中にあって、いつも変わらぬ顧みを与えてくださり、在日大韓基督教会と共に歩んでくださった神に私たちは心からの感謝をささげる。
この100年の間、在日大韓基督教会は、神が派遣されたディアスポラの地・日本において、神の宣教の業に参与してきた。その中で、三つの特徴を与えられた。その三つの特徴とは、「マイノリティ性」「多様性」「エキュメニカル性」である。
Ⅱ.在日大韓基督教会の三つの特徴とその宣教的使命
1.いのちを大切にする神の宣教に参与するマイノリティ教会
「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」
(創世記45:5)
在日大韓基督教会は、その宣教の初めから戦前・戦中を通して、多くの苦難や迫害を受けた。とくに戦中には、民族独立を願ったとの理由での教会指導者の逮捕・拘束、教会閉鎖、礼拝での朝鮮語使用の禁止、他教派への吸収合併などを余儀なくされた。1945年8月15日の解放後には、多くの信徒が帰国する中、残された2百数名の信徒・教役者によって再出発し、徐々に教会の再建を行っていった。
そして、在日大韓基督教会は1968年の宣教60周年には、「キリストに従ってこの世へ」との標語と共にその宣教の方向性を転換し、在日コリアンの人権獲得の働きを日本や韓国、世界の教会と共に推進してきた。1970年代には就職差別撤廃運動、80年代からは指紋押捺制度の撤廃運動において先駆的な働きを担ってきた。また、1974年と94年の2回にわたって「マイノリティ問題と宣教戦略」国際会議を主催し、世界のマイノリティと連帯してきた。現在、日本社会は、外国籍住民の増加により、ますます「多民族・多文化」化している反面、多くのマイノリティの人権が侵害されたままである。このような状況にあって、在日大韓基督教会には、自らのマイノリティとしての経験に根ざした先駆的な宣教活動を進めることが今一層求められている。
歴史の主である神が、「いのちを救う」ために、ヨセフをエジプトという異郷の地へ派遣したように、異郷の地・日本において「いのちを救う」働きが、在日大韓基督教会に与えられた宣教の使命である。いのちの救いとは、福音である。そして、それは、すべての「生」の領域、政治・経済・社会・身体・心理・霊性における、あらゆる抑圧からの解放を含むものであり、神から与えられた人間の可能性と「いのち」の輝きが実現されることである。
いのちを大切にする宣教を行うために、在日大韓基督教会は、自らのマイノリティ性とマジョリティ性の両面を直視しつつ、マイノリティ(小さくされた者)と共に立つ信仰共同体(マイノリティ教会)の形成を目指すべきである。マイノリティとマジョリティ(抑圧側に立つ者)とは絶対普遍のものではなく、可変的であり、被抑圧者がいつでも抑圧者になることがありうるからである。そのためにもマイノリティ教会とは、マイノリティが集まる教会であるばかりでなく、マイノリティの側に立って共に歩み、宣教する教会であるとの自覚を在日大韓基督教会内に浸透させていくことが重要である。
在日大韓基督教会の宣教は、いのちを損なうすべての暴力の克服に向けた働きを含んでいる。暴力には、戦争はもちろん、民族(エスニシティ)や国籍、性別、性指向、出身による差別、そして、高齢化社会にあっては年齢による差別、環境破壊やネット社会における暴力の拡がりなどが挙げられる。また、経済・文化レベルでのグローバリゼーションが進行する中で、国家間において、また一国内においても格差が広がっていることも暴力の一形態と見ることができる。
教会とは、神によってこの世から召し出され、この世に遣わされた共同体である。教会は、この世における神の国のしるしであり、先取りである。また、神の国の実現のために働く器でもある。教会に先んじて私たちの神は歴史の中で働かれており、その神の宣教(Missio Dei)の働きに参与する使命が教会には与えられているのである。
イエス・キリストを通して浮ウれた神の国とは、すべての神の被造物のいのちが大切にされ、暴力が克服された、神の支配する正義と平和が実現した社会のことである。私たちは、神の国をこの世に少しでも実現するために神の宣教に参加することを主によって呼びかけられているのである。
2.多様性を祝福し、「和解のしもべ」となるために改革し続ける教会
「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」
(エフェソ 2:14~16)
「これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです」
(Ⅰコリント 12:4~11)
①多様性と和解のしもべ
現在、在日コリアン社会は、戦前から日本に住む1世とその子孫、ダブル(国際結婚による子)、日本国籍者、本国や中国の朝鮮族を含む新1世など、文化・国籍・アイデンティティにおいて多様化してきている。また、経済レベルにおいてもさまざまな階層からなっている。これらのことを反映する形で在日大韓基督教会自体もその構成員において多様化してきている。この多様性を神から与えられた恵みとして豊かに享受する道を探ることは、在日大韓基督教会の課題の一つである。
多様化の中で育ち、葛藤を経ることを通して、隣人愛の意味を深く理解し、隣人に対する思いやりをもった平和な人が育つことや、さまざまなアイデアや考えは多様性から生まれるということを主の祝福として受け止めつつ、在日大韓基督教会は「一つの体」としての信仰共同体を形成する必要がある。
在日大韓基督教会は、1988年に「民族統一に関する在日大韓基督教会宣言」を発表した後、1990年代より、韓国と北朝鮮のキリスト教界が互いに出会える場を提供することによって、朝鮮半島の平和統一に向けての働きに参与してきた。今日においては、日本と北朝鮮・韓国間、在日間、在日と日本間、さらには人間とその他の被造物の間に和解をもたらす働きが在日大韓基督教会には求められている。
教会は、パウロが示したように、多様な肢体を備えるキリストの体であり、在日大韓基督教会が真の「和解のしもべ」としての信仰共同体となるためには、キリストにあって隔ての壁を教会内でまず取り除くことが必要である。和解をもたらすことによって、いのちを大切にするための福音宣教に従事するためには、まず教会自らが絶えず変化し続けることが必要なのである。
②多重言語による礼拝
礼拝は、キリスト者が神と出会う場であり、一人のキリスト者が、あるいは共同体が悔い改めを通して霊的に新たに変えられるキリスト者の生活の中心の時である。在日大韓基督教会は、それぞれ韓国語と日本語を母語とする構成員をもつ中、二重言語による礼拝の意味とそのあり方について模索してきた。そして、神の言葉とイエス・キリストの福音に二言語をもって触れることを通して、その多様で豊かな意味を見出すことができることを経験してきた。
現在、在日大韓基督教会には、韓国語だけを用いる教会、日本語だけを用いる教会、そして二重言語による礼拝をささげている教会があり、その礼拝における言語使用において多様化を見せている。二言語を用いる教会にあっても、その形態はさまざまである。
在日大韓基督教会は、このような、礼拝の持ち方における在日大韓基督教会内の多様性を神からの賜物として積極的に評価すると共に、二つの言語グループを結びつける、二カ国語を用いる構成員を育成しつつ、二重言語による礼拝、さらに将来的には、多重言語による礼拝がもつ可能性について模索し続ける必要がある。
3.合同(Uniting)を続けるエキュメニカル教会として
「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」
(ガラテヤ3:28)
①エキュメニカルな経験を活かす教会
在日大韓基督教会は、その宣教の初めからエキュメニカル性を特徴としてきた。本国朝鮮の長老派と監理派の協力宣教により始められ、カナダ長老教会など北米の諸教会の支援を得て成長してきた。今日では、ホーリネス系(聖潔教会)の背景をもった働き人も加えられている。また、日本キリスト教協議会(NCCJ)やアジアキリスト教協議会(CCA)、世界教会協議会(WCC)、世界改革教会連盟(WARC)に加盟し、エキュメニカルな協力を大切にしてきた。そのキリストにある教会としての交わりの中で、在日大韓基督教会は、その宣教の働きのための、自分たちだけでは発見することのできなかった多くの新たな視点や支援を獲得してきた。また、新たな視点や宣教の課題を提供することによって、キリスト教の宣教を豊かにしてきた。エキュメニカル性は、在日大韓基督教会が自己保存に集中して、教会としての生命を失わず、歴史状況や今日的な課題に正しく応答し、社会に奉仕する、活かされた神の道具となるために必要な交わりであり、共働である。
これからも在日大韓基督教会は、エキュメニカル性をもった教会として、地域社会における日本の教会などとの協同の働きを通して、在日外国人と日本人の共生のために働く教会形成を行っていく必要がある。また、日本・アジア・世界の教会と協力すると共に、これまでに培ったエキュメニカルな経験を活かしつつ他宗教間の対話を促進する中で、すべての暴力の克服と平和・正義・いのちの実現に貢献する教会となる必要がある。
②合同(Uniting)教会の実質化を目指す教会
在日大韓基督教会はそれ自体が合同教会という特徴をもったエキュメニカルな交わりからなる教会である。合同教会という場合の「合同」とは、合同が完了したことを意味する「United」ではなく、教会内の多様性を大切にする中で、絶えず真の合同に向けて変化する途上にあるという意味での合同(Uniting)である。在日大韓基督教会は、合同(Uniting)教会としてのあり方の実質化とその特徴の積極的活用を促進することによって、韓国および世界の教会への証しとなることを目指す。
在日大韓基督教会は、以上の宣教に対する宣教100周年のビジョンを持ちつつ、以下のように信仰を告白する。
<在日大韓基督教会「信仰告白(使徒信条)前文」>
私たちは、聖書に証しされた主イエス・キリストにより、父・子・聖霊なる三位一体の神を信じます。
歴史の中で救いを起こされる神は、かつてイスラエルの民をエジプトの奴隷生活から救い出し、約束の地に導き入れられたように、御子の十字架と復活の恵みにより、故郷を離れてさすらった祖先の内より私たちを、個人と国家が犯した罪の縄目から解き放ち、今や主の霊に支配され導かれた新しい神の民としてこの地に遣わし住まわせて下さいました。
私たちはイエス・キリストにおけるこの希望を共に抱き、それをあらゆる民に証しする使命を私たちに委託された神を賛美しつつ、教会の信仰を表明し、ここに代々の聖徒と共に使徒信条を告白します。
<信徒信条>
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
※上記の宣教理念は、在日大韓基督教会 第49回総会期 第2回常任委員会(2008年4月2日)において承認されたものです。