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感謝の百年、希望の百年。すべての事について、感謝しなさい。(テサⅠ5:18)


総会のお知らせ

<第10回WCC釜山総会報告> 2

掲載日 : [14-02-11]   照会数 : 4191










WCC総会のプログラムは、毎日祈りで始まり、祈りで終わった。朝8時半から始まる朝礼拝(Morning Prayer)、そして夜8時半から持たれる夕礼拝(Evening Prayer)は、もっとも楽しみな時間だった。世界各地から参加しているありとあらゆる教派が、それぞれ礼拝を受け持つのである。私たちが普通に日本でクリスチャンとして生活していたら、おそらく体験する機会がないであろうさまざまな礼拝をつぶさに見ることが出来た。特に興味深かったのは諸地域の正教会による礼拝で、その中でもコプト正教会の司教たちによる讃美(なのか、それとも何かの朗読なのか、それさえもわからなかった)は、本当に印象的であった。

私自身が内に持っている「これが教会、これがキリスト教」という小さな固定概念が、快く打ち砕かれる時を持った。この地上に拡がる諸民族によってこれほど多様な礼拝文化を花開かせ、脈々とその伝統を受け継がせながら、ひとりの神を礼拝し讃美させておられる神のみこころはほむべきかな!

朝夕の礼拝において心を打たれたのは、音楽の素晴らしさだった。これまた世界各地の民族音楽の要素が入ったさまざまなスタイルの讃美が、いろいろな言語で歌われる。慣れ親しんだ讃美歌やゴスペルソングとは全く違うが、それぞれの民の神への切なる思いと敬虔さ深く感じさせるメロディーを歌いながら楽しみ、恵まれた。

個人的にもっとも興奮したのは、楽団による演奏であった。讃美をリードする聖歌隊と共に、弦楽器や管楽器、ギター、ベース、パーカッションやその他の民族楽器などが、演奏する曲によって次々に違う編成で導入される。そこから繰り出されるハーモニーは、本当に圧巻であり、私はほとんどの礼拝で楽団のすぐ正面に陣取って、その音楽を堪能した。考えてみれば、礼拝の半分は音楽であり、讃美である。やりようによってはこれほど礼拝を魅力的にする「音楽」を、私たちの教会の中でもっとなんとか出来ないものだろうか?という新たな課題を感じた。

朝礼拝に続いて聖書勉強会(Bible Study)が毎日持たれた。「いのちの神」(God of Life)と名付けられた聖書勉強用の冊子が参加者たちに配られ、各地域・各教派の神学者によって執筆されたカリキュラムに従って、30人ほどのグループでみ言葉の学びがなされた。この時間にはさらに7〜8人ほどのグループに分けられて、教派も地域も民族も別々の人々とテーマとなるみ言葉の分かち合いをする時間があり、それは本当に貴重なひとときだった。私自身も、つたない英語を通じて、自分の置かれた在日としての境遇からとらえたそのみ言葉に対する思いを伝える機会があり、またアフリカやロシア、東南アジアやヨーロッパからの参加者の体験や思いに耳を傾けた。

「エキュメニカルな対話」(Ecumenical Conversations)と名付けられたセッションが、期間中数度にわたってもうけられた。参加者は前もって21のテーマの中から自分が参加したいものを選び、そのセッションに参加して発題や討論を行うことになっている。私は「周辺化された人々との連帯」をテーマとするセッションに参加したが、世界の各地域のマイノリティーの状況を分かち合おうとする7〜80人ほどの人々(障がい者の割合が多いのが印象的だった)の熱気が部屋全体にこもっていた。

参加できた2度ほどセッションの中で、ペルーの女性発題者による「先住民の宇宙観はペルーの人々の生活の根本をなしており、それはイエス・キリストの福音と共鳴する部分を持っているが、制度化された教会はそれを否定し、排除してきた。教会は違いを受け入れるのみならず、この世のすべての多様性を支配したり同化したり操ったりすることなく、支持する主体として変化していかなければならない。イエス・キリストの救いは、非排除の視点で語られなければならない」という話が、胸を打った。(次号に続く)
(報告:許伯基牧師、つくば東京教会/総会事務局幹事)


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