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総会のお知らせ

<2015年 新年メッセージ>「まず」行うべきこと

掲載日 : [15-01-01]   照会数 : 3973




<2015年 新年メッセージ>
「まず」行うべきこと(マタイによる福音書6:33)
 
趙重來牧師(総会長、船橋教会)
 
2015年、新年を与えて下さった神さまからの恩寵が、総会傘下のすべての教会の上に満ち溢れますようお祈りいたします。
 
「あの人はいつも同じである」という言葉があります。変化があり成長が必要ですが、そうではないということです。発展と成長(成熟)があるためには、目標が必要であり、これを実現するためには、努力することが必要です。運動場で走る選手が、目標を定め、目標を達成するために、一日も休まず努力することと同じです。聖徒も同じです。目標を明確に定めて、力を出して努力した時に成長します。
 
この御言葉は、聖徒の目標について言っています。主が言われます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」ここで「まず」とは、「何よりも重要であり、緊急に解決すべきものである」という意味です。人生の中で、緊急に解決すべきものとは何なのでしょうか。世の中の人々は、「何を食べようか、飲もうか、着ようか」です。これらを解決するために、悩みながら頑張って生きて行きます。世の中の人たちだけではなく、聖徒も、さらに牧師も例外ではありません。自分の良心の声を静かに聞いて見ると、すぐに分かります。衣食住は、誰にでも重要な問題なのです。
 
しかし、主は、「まず」行うべきことは「神の国」だと言われました。神の国とは、「神が統治する国」、つまり「神の国」です。神の国を宣べ伝えて命を救うことなのです。水に溺れて死んで行く人に必要なものは、パンでも水でもありません。「まず」は、救い出すことです。
 
世界の指導者たちは、「経済成長、科学の発展、医学の発展、電子の発展など、目覚しい発展を成し遂げて、便利であり幸せに暮らせる未来が来るようにする」と言います。しかし、主は、「世の終わりの時が近づいており、終末は災いとともに、主の日は盗人のように臨み、多くの人々が滅びる終末が来るので、目を覚まして準備するように」と言われます。
 
どちらを信じるべきでしょうか。わたしたちは聖書を信じている人々です。聖書を信じる人なら、イエスさまの御言葉を信じなければなりません。これを信じて、神の国を宣べ伝え、一人でも多くの魂を救うことが、「まず」行うべきことです。神の国は永遠な国であり、永遠な命の国です。「身体のよみがえり、永久の生命を信ず」と告白するように、永遠に生きる国です。この地に神の国を建設し、一人の生命でも、神の国の民になるように救うことが「まず」大事なことなのです。もし、たとえ、主の日が「まだ」だとしても、個人の終末は、いつ来るか誰も分かりません。
 
今、わたしは癌と闘病をしていますが、このようになることを誰が知っていたでしょうか。しかし、闘病をしながら、わたしの最後の時を準備するようになったことは、大きな祝福であり、感謝であります。個人の最後の時も盗人のように迫って来るのです。これを準備して生きる人生が「まず」です。
 
次は、「義」です。「義」は、信仰によって得る「義」ではなく、密かに見ておられる神さまが認める「義」です。偽りではない善い生です。すなわち、真の敬虔です。歴史の足跡を見て見ると、滅びの原因は軍隊の弱さ、貧困、政治の不在でもありません。その原因は、道徳的な腐敗でした。ソドムとゴモラの滅亡も何人かの義人がいなくて滅びたように「義」が重要です。
 
イエスさまは、その義を「求めなさい」と言われました。「頑張れ、努力せよ」という意味です。聖霊さまの助けを借りて力を出して努力することです。世の中に、努力せずに得られるものがどこにありますか。サタンも飲み込む者を見つけ出すために、飢えているライオンのように努力しています。聖徒は、「生命の救いと義」を行なうために霊的な武装をして努力しなければなりません。そうすれば、主は「加えて与えられる」と約束されました。
 
主は、わたしたちに衣食住が必要不可欠なものであることをご存知であります。公生涯の前に、40日間断食された時、飢えがどうなものなのかをも体験されました。このように、わたしたちの身体の必要をご存知でおられる主が、わたしたちが悩んでいるものを満たして下さると約束しながら、まず、「救いと義」を行なうように努力すべきであると言われました。
 
神さまは、その昔、イスラエルの民を出エジプトさせました。そして、マナとうずらを豊かに与えて下さいました。そのように、神さまは現在もご自分の民にされた後、変わりなく、「このすべてを加えて」与えられております。これを信じ、感謝して生きるべきです。
 
最後に、注目すべき御言葉は「あなたがたは」です。3人称ではありません。「わたし」なのです。生命の救いの働きは「わたし」がしなければならなりません。「義」も「わたし」が行うのです。隣人の人生を変えたり、国の指導者や邪悪な者を変えるものではありません。人間は悪者になると、問題の核は自分にあるにもかかわらず、自分の意志と異なる者は、すべて悪者だと避難します。変化の優先順位は、「わたし」なのです。わたしが「義」行なわず、わたしが変わらないで、「義」を言ったところで、誰が変るでしょうか。わたしが変われば、教会が、近所の人が、世界が変わります。
 
イエスさまは、十字架にかかった時、嘲笑いながら非難する連中に、「あなたがたは悔い改めなさい」と言われませんでし。呪いもしませんでした。ただ、主は「彼らは知らないので赦してください」と祈りました。その結果、強盗が変わり、弟子たちとサウロが変わりました。これが「あなたは」の意味です。
 
わたしと共に、同労者であると同時に神さまの民となった聖徒の皆さん!希望に満ちた新年が明けました。主が言われた「あなたがたは、何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」という御言葉は、まず、教会が努めるべき核心たる働きであり、弟子になった者が力を尽くして行わなければなりません。ここに、わたしたち総会と、この民族、祖国に希望があります。この「義」を忘れずに、力を尽くして多くの実を結ぶ2015年になるように努力しましょう。
 
新年、主の恵みによって、家庭には笑いが、霊肉には健康、企業には繁栄、教会には平安と救いの祝福が満ち溢れますように、切に願っております。
 
主にあって、新年、明けましておめでとうございます。


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