イエス・キリストの誕生は
マタイによる福音書:1:18~25
宋南鉉牧師 (大阪第一教会)
毎朝発刊される新聞には、天気予報が常に掲載されています。しかし、ある日は天気予報が普段と比べて、大きく揭載されてあります。さらに、天気予報の内容も詳細てす。なぜでしょうか?その理由は、特別に強く知らせたい天気予報 だからです。マタイによる福音書にも「誕生」と言う単語に関して同様の流れの話があります。
新共同訳聖書、マタイによる福音書には、「誕生」という単語が1章18節と14章6節の2カ所に記されています。しかし、この2カ所に記されている誕生は、全く異なる内容の単語であると言えます。なぜなら、1章18節の誕生は、イエスの誕生ですが、14章6節の誕生はヘロデの誕生だからです。マタイ1章と第14章をさらに深く読めば、イエスの誕生とヘロデの誕生には、多くの差があることを発見することができるのです。マタイは、1章でイエスの誕生に関する過程や目的を述べているのですが、14章のヘロデの誕生では、その過程や目的については述べていないことがわかります。このことによって、マタイによる福音書は、イエスの誕生過程と目的を通して、クリスチャンに強く訴えたい信仰のメッセージがあることが分かるのです。マタイによる福音書が強調する信仰のメッセージは次の三つであると思います。
第1番目です。マタイによる福音書1章18節で、イエスの誕生は、聖霊によるものであることが強調されています。聖霊はしるしや奇跡を起こす力を持っています。 聖霊は、マリアがヨセフと婚約して同居する前に身ごもらせることもできます。人々を、ほかの国々の言葉で話し始めさせることもでき(使2:4)、ここへ行こうと目的地を決定した人の心を変えることもできます。(使8:29)
使徒言行録では、パウロが伝道(宣教)旅行する至る所で、何度もしるしや奇跡を行ったことを記しています。例えば、14章で、生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった人を歩けるようにした話があります。けれども、パウロはローマの信徒への手紙15章18節と19節で、これらのしるしと奇跡は聖霊の力によって行われたのだと自信を持って語っているのです。聖霊は驚くべき力を持っていると言うことです。
第2番です。マタイによる福音書は1章21節で、イエスの誕生は、人々を罪から救うためであることを強調しています。マタイによる福音書の話が展開された時代は、ローマの信徒への手紙3章23節で記されているように、人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている暗闇の時代でした。律法学者たちは、人々から正しく見られようと偽善と不法で満ち(マタイ23:28)、祭司たちさえ、神にささげるための祭物が神殿で売買されていることを放置しました。(マタイ21:12)人々が、罪から救われる道が妨げられていました。それで、マタイによる福音書は、イエスが正しい人を招くためではなく、罪人を救うために来られたことを強調しています。
第3番です。マタイによる福音書は1章22節で、イエスの誕生は、神の言葉によって実現したことを強調しています。 現代医学は、イエスの誕生を説明することができませんが、神の言葉は、イエスの誕生を説明することができます。出エジプト記14章では、イスラエルの人々がエジプト軍に追われ、危機的な状況にあった場面が記されています。その時神は、モーセに杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べなさいと言われました。ノアが作った箱舟よりも大きな箱舟が必要な時に、神はモーセが杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べることが危機からの脱出方法だと言われたのです。 その結果、神の言葉は実現し、海の水は左右の壁となり、乾いた所が現れ、イスラエルの人々は箱舟がなくても、海を渡ることができたのです。(出14:29) 神のすべての言葉は、人が想像できない方法と時に実現されます。数十年、数百年が経っても、必ず実現されるのです。(ペトロの手紙二 3:9)
聖誕節には、至る所で、新韓日讚頌歌109番「きよしこの夜」が流れています。しかし、 大勢はその曲を聞いていっても、聖書が語るイエスの誕生過程と目的をよく理解していないようです。今回の聖誕節に、イエスが誕生された飼い葉桶が描かれたイラストと、マタイ1章18節~25節の、みことばが書かれた聖誕節カードを送るならば、これまで以上に意味がある聖誕節になると思います。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 (マタイによる福音書 1:23)