この記事は日本キリスト教会の機関紙福音時報2018年1月号から転載したものであります。
『実りのときを喜んで』
―在日大韓基督教会との宣教協約締結20周年記念集会に出席して-
日本キリスト教会 渉外委員長 八田牧人牧師
日本キリスト教会・在日大韓基督教会宣教協約締結20周年記念集会が、2017年11月23日(木・休)大阪姫松教会を会場に開催された。今回の集会は、両教会の現状や課題を教職者が互いの理解のために交換するのではなく、青年が主体となり、教会によって何を得たのかを自らの言葉で語るものとなった。宣教協力実務委員会で発議され、実際に青年を交えて準備が重ねられ、ポスターやプログラム、当日の実務まで青年の手によって作成・準備され、当日参加者は64名となった。
青年たちと共に準備に当たった金 迅野横須賀教会牧師(在日・横須賀教会・信徒委員長)、大石周平府中中河原伝道所牧師(宣教協力実務委員)、会場教会を担って下さった藤田英夫大阪姫松教会牧師(近畿中会議長)の尽力に感謝したい。
開会礼拝は金 健 川崎教会牧師(在日・副総会長)の司式、冨永憲司柏木教会牧師(大会議長)の説教、朴 成均和歌山第一教会牧師(在日・関西地方会長)の聖餐式司式、金 鐘賢浪速教会牧師(在日・総会長)の祝福によって行われた。
メインとなる発題は両教会から3名ずつ、6名が10代、20代、30代と年代を代表する形で『WA』-「欠け」のある者から「欠け」がえのない者へ-の主題に則し、自らの体験を通して実感し、考えていることを語った。発題者は、発題順に10代代表が李 智煕(在日)、藤守 麗(吉田)、20代代表が張 昌沫(在日)、平岩ともり(吉田)、30代代表が金 祥宇(在日)、大石啓介(鶴見)であった。全員、若者らしい個性とパフォーマンスを発揮して、誠実にそして懸命に語った。そして、北海道や東京、近畿から集まった聴衆の青年たちも誠実に共感をもって聞いていた。その一体感は単なる仲間内だけの盛り上がりではなく、聞く者すべてに共に考えることを促すものであった。
発題者が一致して語っていたのは、彼ら自身の経験を通して、自分を自分たらしめているものが教会から与えられたものであること、そこから迷い出た欠けのある自分が居場所に立ち帰れたと喜んでいる姿であった。また、自分の努力や見識を誇るのではなく、交わりによって、信仰によって生きることを発見した喜びと感謝が語られていた。もちろん、彼らの試みはまだ終わった訳ではない。だが指標を得た実感がこもっていた。そしてより多くの仲間たちと語らい、輪を広げ、喜びを伝えたいという願いが伝わった。各年代の発題ごとに行なわれたグループトークも、両教会の青年が均等に担当し、熱心に語り合っていた。
全てに共通して言えることは、両教会が直面する課題や立脚点に差異があるにしても、信仰によって生きるという聖書の伝えるべき事柄が、両教会の青年たちに確かに伝わり、聞かれ、生きる中に共有されて活きていることである。
ここに、われわれ皆が心すべき事柄がある。宣教・伝道が問題とされるとき、伝えるべき内容と如何に伝えるかが先立っていないだろうか。どのように聞かれているかという問いも、説得の成果や型の設置と同義になっていないだろうか。だが、そのような迷いや懸念の中でも、聖書のことばは確かに伝わり、聞かれ、生きている事実を彼らの発言から聴き取ることができたのである。
宣教協約は、実際にはどのような働きを果たすのか、教会の働きがどのように一致し、協働を可能にするのか、実に様々な意見や立場があるだろう。しかし今回の20周年記念集会は、両教会が語って来たことの何が聞かれたのかをじっくりと聞き取ることによって喜びを与えられた。
両教会とも、青年層が薄く人数的には少ないのは現実である。しかしいない訳ではない。実りは育まれていた。青年たち相互の信頼と発言に、われわれ聞く者は喜びを見出した。教会が語って来た福音が確かに聴かれている喜びこそ、宣教する者にとっての最大の希望であろう。その希望を信じ、開会説教で語られた「恐れるな、雄々しくあれと言ったではないか」のみことばにどう応えるか、両教会が共に喜び、共に考えさせられた集会であった。